STORIUMが応援するスタートアップの魅力に光を当てるストーリー。今回は、匠技研工業の前田氏のインタビューをお届けします。
2020年2月に創業した匠技研工業(旧社名LeadX)は、中小製造業の見積業務を効率化するSaaS「匠フォース」を軸に、着実に事業を拡大してきた。法律家の家系で、大学・大学院では法律について学び、弁護士になることを目指していたという代表取締役社長の前田将太氏。しかし、起業家育成の講義を受けたことがきっかけで、起業家になることを決意する。
工場や製造業のバックグラウンドを持たない前田氏や彼のチームが、製造業向けのSaaSを事業の軸に据えたのはなぜだろうか。そこには、日本の製造業の根幹を支える中小企業の課題に真摯に向き合い、デジタル化によって業界全体を変革したいという強い思いがあった。飲食店向けサブスクからピボットし、製造業支援へと舵を切った背景には、社会的インパクトを追求する若き起業家たちの決断があった。
インタビュイープロフィール
町工場DXという使命

Image credit: Takumi Engineering
匠技研工業の原点は、製造業とは異なる領域にあった。東京大学ラクロス部の同期で構成された創業チームは、社会に対する大きなインパクトを与えたいという思いから、スタートアップに挑戦。当初は複数の事業アイデアを模索していた。
その一つが、飲食店向けのサブスクリプションサービス「Gocci(ゴッチ)」だ。東京大学本郷キャンパス周辺の飲食店で使える月額1万2,000円の定額ランチサービスは、想定を超える人気を博した。しかし、ビジネスモデルに致命的な課題があった。
「ユーザーが月に平均27日利用する熱狂的なサービスでした。ただ、Gocciから飲食店へ支払う代金は1食毎単位だったので、利用が増えれば増えるほど赤字になるモデルでした。しかし、今から考えれば、ビジネスモデルを工夫すれば成立させることはできたと思います。
例えば、学生限定にして東大生との接点を求める企業をスポンサーにつければ、エコノミクスは合うはずでした。でも、果たしてこの事業で日本社会がどれだけよくなるのか。20代の自分たちが全身全霊で取り組むべき事業なのか。そう考えたとき、違うと思いました。」(前田氏)
社会的インパクトを求めて方向転換を決断した前田氏らは、さまざまな業界の課題を探索。不動産、運送、卸売、小売、保険など、いわゆるレガシー産業を中心に調査を進めた。「学生だからできる」「20代だからできる」という思考の枠を外し、社会全体の課題を見渡した。
そんな中、製造業の課題に出会う。「実は製造業は最後の最後まで敷居が高く、行かなかった領域でした」と前田氏は当時を振り返る。製造業に関する知見が十分ではなかったことから、躊躇していたのだ。
転機は、中小の部品加工をしているサプライヤー企業からの声だった。「見積が社長しかできない」「夜遅くまで見積作業をしている」という切実な課題を聞き、ここに大きな可能性があると感じた。
関東を中心に30社ほどのサプライヤー企業を訪問し、共通の課題を確認。前田氏らは、製造業支援にピボットすることを決めた。ユーザー企業からの反応は明確だった。一般的な営業活動では100件に1件程度だった商談化率が、製造業向けでは10件中5件と飛躍的に向上した。
創業メンバーそれぞれに、製造業との親和性があったことも、この決断を後押しした。前田氏自身、幼少期から日本科学未来館の年間パスを持ち、ホンダのASIMOやソニーのロボット製品を追いかけるほど、ロボットや自動車に強い関心を持っていた。
CTOの井坂星南氏は、ホンダに勤務していた父の影響で、工場のあった栃木、アメリカ、タイなどに住んだ経験を持つ。井坂氏の名前がアイルトン・セナにちなんで付けられたという逸話も、ものづくりとの深い縁を感じさせる。
「私、CTOの井坂、CBOの原(原崇文氏)の3人それぞれがこの業界に面白さを感じ、お客様の課題解決に向けた思いも一致しました。製造業という広大な市場で、特に中小企業向けのソリューションが不足していることにも気づきました。」(前田氏)
適正な取引を実現するインフラへの進化

匠フォースは、単なる見積業務の効率化ツールではない。製造業における適正な取引の実現を目指すプラットフォームとして進化を続けている。原材料費の高騰や賃上げ要請が強まる中、適切な原価計算に基づく価格設定の重要性は増している。
「日本は良いものを安く売るという文化がありますが、一方で、原材料費は上がり、賃上げもしなければなりません。適正な価格で取引をしましょうという流れが、以前に増して、強くなってきています。」(前田氏)
匠フォースの導入支援は、原価計算の見直しから始まる。お客の財務諸表を分析し、機械設備の償却費まで計算して、時間あたりのチャージレートを設定する。それを基に、各社の仕様に合わせてノーコードでカスタマイズしていくという、徹底的な伴走支援を行う。
「SaaSの会社ではあるものの、匠フォースの場合、オンボーディングに先立っての分析は重たい工程で、SaaSの利用料に比べると初期にかかる費用は重めです。しかし、お客様に価値を認めていただいています。安かろう悪かろうではなく、提供する価値に見合った適正な対価をいただく。それが製造業の適正取引という考え方にも合致すると考えています。」(前田氏)

中小企業を取引先に多く持つ地域金融機関との連携も進めている。とある銀行との協業では、取引先企業の原価計算見直しから匠フォースの導入まで、一気通貫の支援を行う。自動車産業が集積する当該地域では、不適切な原価管理からの脱却を目指す企業が増えているという。
自動車産業をはじめとする製造業が多い愛知県は、匠フォースのユーザー企業が最も多い地域だ。匠技研工業は2024年11月、これまでの東京以外の営業拠点として初めて、名古屋に支店を開設した。
「これまでには、週に1回程度、中部・東海圏に社員が出張している状況でした。物理的な拠点があることで、お客様により安心感を持っていただけるようになると考えています。」(前田氏)
営業活動も地に足のついたものだ。日本工作機械見本市(JIMTOF)などの展示会出展、商工会主催セミナーでの登壇など、地道な活動を続けている。
「目の前の顧客獲得だけでなく、業界全体の啓蒙活動として捉えています。中長期的に業界をよくしていく、その世界を匠技研が作っていきます。そういう視点で取り組んでいます。」(前田氏)
業界変革に向けた思い

前田氏は、製造業の変革を3段階で捉えている。第1段階のデジタルトランスフォーメーション(DX)、第2段階のAIトランスフォーメーション(AX)、そして最終段階のインダストリアルトランスフォーメーション(IX)だ。
「現在の匠フォースはまだDXの段階。紙の図面をデジタル化し、見積をシステム化する。これによってデータが蓄積され、AXの準備が整います。」(前田氏)
次のAXでは、蓄積されたデータを活用した自動見積、工程の自動分解、過去の不良事例に基づくレコメンデーションなどが実現する。「匠の技術をデジタル資産化し、ノウハウとして蓄積できる」と前田氏は説明する。そして最終的に目指すのがIXだ。
「製造業は1社では完結しません。自動車なら3万点、飛行機なら10万点の部品を組み合わせて作ります。今、その企業間連携がFAXや電話で行われています。ここを電子商取引化し、最適なサプライヤーとのマッチング、品質評価の可視化、サプライチェーン全体でのリードタイム短縮を実現します。そうすれば『日本に発注すれば最も早く、最高品質のものが作れる』という世界観が作れます。新しい産業が日本に集積し、業界全体のパイが広がっていきます。」(前田氏)
前田氏は、この変革を「縮小均衡の中での綱引き」ではなく、市場全体のパイを広げる機会として捉えている。「あちらが立てばこちらが立たぬ」という状況では本質的な解決にならない。産業全体の競争力を高め、新たな需要を創出することが重要だと説く。
「単に稼ぎたい、自分が生きやすくなりたいという思いだけでは、今の事業の方向性には行き着きません。PMF(プロダクトマーケットフィット)を達成し、再現性のあるビジネスになったとしても、その再現性は私たちが向き合い続けないと保てません。今は、そんなフェーズだと思っています。」(前田氏)
チームスポーツの試合前夜のような緊張感と高揚感。明確なゴールに向かって継続的に挑戦し続ける姿勢。そして、全てのステークホルダーへのリスペクト。これらの価値観を共有できるメンバーを、これまでも、そして、これからも求めているという。

Image credit: Manufacturing DX Association
匠技研工業は製造DX協会への参画など、業界全体の変革に向けた取り組みも本格化させている。「製造業も団体戦で変えていく時代。今、協会には7社の運営スタートアップがいますが、メーカーも含めて連携を深めていきたい」と前田氏は語る。また、今後は、地域に根差した支援体制の強化を図りたい考えだ。
「スタートアップの採用課題と、地方の製造業の人材不足。どちらがより深刻かと言えば、明らかに地方の製造業です。例えばとある石川県のお客様は、若い人材がいない、高齢化が進む中で事業継続に苦心されています。
ただ、そこには日本の産業を支える重要な技術が集積している。とあるEV関連の特殊な製品を作れる企業は日本に2社しかありません。そのうちの1社がなくなれば、サプライチェーン全体に影響が及ぶ。待ったなしの状況です。」(前田氏)
前田氏がこうして使命感に燃えているのは、前田氏の祖父の影響もあるかもしれない。前田氏は個人の民事・刑事案件を中心に扱った弁護士だった祖父から、「経済合理性だけでは測れない、でも誰かが向き合わなければならない課題に取り組む」という姿勢を学んだという。
「大企業向けのソリューションは既にたくさんあります。でも中小企業、サプライヤー企業の課題に本気で向き合うプレイヤーは多くありません。産業の裾野を支える企業が立ち行かなくなれば、日本の製造業全体が崩れていく。私たちは、そこに使命感を感じているんです。」(前田氏)
製造業の未来を見据え、社会的インパクトを追求する若き経営者としての覚悟と、町工場の現場に寄り添う丁寧な姿勢。前田氏とその仲間たちの挑戦は、日本のものづくりの新たな可能性を切り拓いていくに違いない。